僕の鉄道趣味遍歴について

こんにちは。しらいちです。

 

今回も聞かれることもないようなことをつらつらと書いていこうかなと。

 

僕と鉄道の関係性について、何をきっかけにここまでの趣味に発展したかなどの遍歴をまとめてみます。

 

~幼少期~

プラレールで遊び、クリスマスプレゼントは500系がいい!!と駄々をこねる普通の子供だった記憶。レンタルビデオ店に行っても電車のビデオを借りたい!!!と駄々をこねる程度には電車好き。しまいには保育園の名前シールにSLのマークが添えられるほどでした(ちなみにSLだけは全く興味なし)。

 

~小学生~

親の車の買い替えの時期と重なり、趣味も鉄道よりも車の方向へシフト。しかしながら親の車以外に乗ることもないので、あまり長くはハマらず、小2~小3くらいの間で収束しました。鉄道に関しては、地元広島を走る列車は115系、ということをじわじわ認識するようになった。中学受験もしましたが、いい学校に行きたい、というモチベではなく実は電車通学をしたい(毎日列車に乗りたい)というモチベで勉強をしていたところはあった気がしますね。

(撮り鉄につながるカメラ趣味もこのころあたりから始まったりしています)

 

~クソガキ(中学生)~

ここからクソガキしらいち君の登場です。電車通学を始め、毎日電車に乗るようになった、インターネットで情報を収集できるようになった、学校に鉄道趣味を持つ友人がいる、手元にカメラがある、実は広島の電車は趣味的に面白い、などなどの要因が重なって趣味が爆発することになったのでした。

18きっぷで大阪まで行ったり、学校の行き帰りに撮り鉄をしたり、出場したばかりの黄色の電車に乗りに行ったり。要因が重なったのもそうですが、本当にいろいろなことをした気がします。毎日鉄道に傾倒して濃く過ごしていた気がします。

中3くらいから今のネットの友人らと関わり始めてネットの世界に浸かり始めたのもありますね。

Bトレインショーティーとかいう食玩もこれが悪魔で、見ず知らずの土地の列車を知るきっかけになったりなど、そういうこともあったりします。

 

~クソガキ(高校生)~

中学生のころと環境は大きく変わりませんが、友人との外泊旅行を許されたりなど制限が緩くなったり、成績が振るわずカメラを没収されたりなど様々。よく友人と撮り鉄に出かけるようになったり、広電貸切に呼んでもらったりなどなど、趣味も友人との関係性も一層濃いものになりました。今は亡きMLながらで0泊3日の旅行を2度もやったのは懐かしい思い出ですね。もちろん受験生の時も撮り鉄に一生懸命でした。

 

~大学生(クソガキ)~

クソガキしらいち君は大学進学にあたり東京へ。撮り鉄もはじめのうちはやっていましたが、撮影できる場所も限られる上に人も多く、辟易としたところがあってすぐに飽きてしまいました。鉄道趣味に関係ない友人らともよく遊ぶようになったのでしばらく鉄道趣味は身を潜めることになります。後述のバイトで稼いだがゆえに、中学生の時に触れたBトレインショーティーもしっかり収集し始めて、見ず知らずの土地だけでなく、見ず知らずの時代の列車にも興味を持ち始める始末。意外とあの食玩は造形で細かいところを抑えているので収集に歯止めはかかりません。

 

~大学生(バイト)~

某社で押し屋のバイトをすることに。いわゆる通勤対応要員ですね。実際に中で働くことで、どのようなシステムで鉄道が動いているかを知るきっかけになりました。今までは鉄道でも"車両"にしか興味がありませんでしたが、このころから"人"とか"システム"に興味を持つことになりました。また、バイト先に旅行が趣味の方々が非常に多くいられたので同行することもしばしば。

 

ここまできて、日本の鉄道に関しては大体のことがわかるようになりましたし、気が付いたら趣味も広く深くなっていると感じることが多くなりましたね。もちろん、まだまだ知らないこともあれば、上には上がいる、という状況ですが。

何はともあれ、いろんな人に良くしてもらったのでこんなクソガキに関わってくれた人には感謝感謝です。

 

そんなこんなで今は仕事をするようになり、たまに撮り鉄などに出かける程度のライト層になってしまいました。これからも細く長く続けていければいいなと思っています。

 

それでは。